「解脱」とは、私以外のものになろうとすることや、安心・喜び・幸せを外に求め続けることからの解放を意味する。ヨーガの教えでは、自己の本質が安心・喜び・幸せであると言われる。すでに得ているものを、得ることはできない。すでに得ているものを、得ていないと思い込み、外側に求め続けてしまうことが、この世界に私自身を縛り付けるのだ。
求め続けることからの自由が「解放」なのだ。
私たちは、無知により肉体・精神が私だと思い込んでいる。しかし、肉体・精神は、私たちが最も身近で扱う道具であり、私自身ではない。
この肉体・精神を私自身だと思うことにより、肉体・精神に様々な執着が生まれ、この世への執着が生まれる。
ヴェーダの教えでは、全ての制限から自由な存在が、私の本質だと言う。すでに私自身は全ての制限から自由で、修行者が目指す境地に私の本質は在るのだが、無知により私自身の本質は、まるで隠されている。しかし、今この瞬間もシャーンティ(平穏)そのもので、愛そのもので、安心や満足そのものなのだ。愛や安心や満足というゴールはすでに私自身だ。そのとき、私自身だけでなく、ありとあらゆる存在にすら何の限界も制限もない。
そのことを知り遂げることを、モークシャ(解放)と言う。
モークシャを求める生き方には、ダルマ(調和・秩序)を選ぶ生き方が重要で、ダルマな生き方を選び、心の成長を選び、人としての成熟が起きることで、今まで執着していたアルタやカーマ(安全や快楽)といった物にも執着することなく、私自身の本質を探求することができるだろう。